2018年度 日本シェリング協会 研究奨励賞選考結果

1 研究奨励賞選考結果
 日本シェリング協会研究奨励賞選考委員会では、厳正な審査の結果、2018年度日本シェリング協会研究奨励賞受賞者を推薦し、2018年7月7日の第91回理事会により承認され、以下のように決定したことを報告する。

受賞者 
梶原将司氏(東京大学大学院)

2 選考過程
 2017年度日本シェリング協会研究奨励賞推薦の公募に、一名の方から梶原将司氏への推薦があった。それ以外に推薦はなく、候補者は梶原将司氏一名であった。
 選考委員会では、上記の結果を経て、梶原将司氏を研究奨励賞候補として、主要業績(単著学位論文『一八〇〇年前後のドイツにおける悲劇(論)の言説力学』 2018年 東京大学大学院人文社会系研究科提出・審査済み)の審査を行った。選考委員会の構成は以下の通りであった。(敬称略)
 哲学:伊坂青司、加國尚志(選考委員長)
 美学:村上龍
 文学:武田利勝
 宗教学:後藤正英
 なお、選考委員の宮田眞治氏は梶原将司氏の指導教員であるため、審査には加わらなかった。
 一ヶ月に及ぶ査読期間を経て、審査結果を集計したところ、梶原将司氏の研究奨励賞受賞推薦を可とする者6名で、全員が推薦を可とした。したがって、選考委員会としては、全員一致で、梶原将司氏を2018年度日本シェリング協会研究奨励賞受賞者として理事会に推薦することを決定した。

3 受賞理由
 梶原将司氏はドイツロマン主義文学の研究を行なってこられ、すでに多くの論文を公表しているが、東京大学大学院人文社会系研究科に提出された博士学位論文『一八〇〇年前後のドイツにおける悲劇(論)の言説力学』(審査済み)に対して推薦があった。梶原氏はこの論文により、博士(文学)を東京大学より授与された。この論文を研究奨励賞の評価対象として審査を行った。以下に選考委員の意見をまとめつつ、受賞の理由を述べる。
 同論文の内容は一八〇〇年前後のドイツにおける悲劇および悲劇論という、先行研究の蓄積のたいへん豊かな領域に、「悲劇(論)」批判と名づけられた手法をつうじて取り組み、「悲劇(論)」の語り手が、自らの語りの正当性を、まさにその語りのさなかで行為遂行的に説得するものであることを、レッシング、シラー、ヴィーラント、モーリッツ、ヘルダーリン等のテクストに即して明るみに出している。全体で356ページにわたる長大な論文であるが、以下にその内容を概観する。
 同論文では予備考察として第一章でアリストテレスのメタファー論のレトリカルな語りの構造が考察され、メタファーがレトリックにおける説得の主体の自己否定的な挙措をその正当化の本質的な構造とすることが示される。
 このような導入につづいて、第二章では西欧中世において忘却された悲劇がルネサンス・宗教改革期にリバイバルし、その歴史的偶然性から、古代ギリシアを根源とする悲劇史の相対化が試みられる。第三章では、レッシングの『悲劇に関する往復書簡』が取り上げられ、レッシングの道徳的教育有用性についての作用美学的言説を分析しながら、悲劇論が人間学・生理学・心理学的な言説と合流し脱主観化の力学と重なることが示される。第四章では、シラーの『メッシーナの序文』が扱われ、合唱団(コロス)が観客に対して悲劇を悲劇として説得する装置であることが示され、論者の主張する悲劇におけるレトッリック的なものの自己正当化の装置であることが述べられる。またシラーのコロスについて論じた研究も取り上げられ、一見時代錯誤的なコロスの導入が、近代の主体や共同体をめぐる不安と対応して、悲劇を悲劇として証言する働きを持つものであることが述べられる。第五章では、ヴィーラントの『ミダスの審判』がとりあげられ、ヴィーラント美学において芸術を語ることと芸術として語ることの力学の頓挫が見られるが、まさにそれゆえにそれへの反動として、語る動機が自己供給されるという自己参照的な側面が見られる。同論文ではこのような側面を「演劇的(dramatisch )」と名づけ、悲劇における自己正当化のパフォーマンス性を見てとっている。第六章では、モーリッツ美学が論じられ、語る存在者としての人間の有限性を超越した審級へのフィクショナルな同化が人間の語りを可能にしていることが示され、人間の語りの正当化における「神」との同化という主題が考察される。第八章では、最終章のヘルダーリン論への補助線としてニーチェ『悲劇の誕生』が扱われ、ニーチェにおける「メタファー」のあり方が考察され、ニーチェが悲劇における語ることの正当化という試みを放棄していることが示される。ニーチェの科学主義批判はレトリック的なものの排除という合理主義への批判であり、しかしそれはまた、悲劇論が囚われてきた自己正当化の試みを超えるものでもあったのである。
 第九章ではヘルダーリンの『エムペドクレース』構想が扱われ、レトリックという観点から論じられる。ヘルダーリンの悲劇論は詩人=英雄が自己否定(犠牲死)することによって本義の転義不可能性が回復されるというメタファー論であることが主張され、ヘルダーリンの悲劇論において語りの正当化の根拠である「すでに−在る−もの」は解体し、語りの根拠の遅延が、根拠を待つプロセスと化すことが述べられる。ヘルダーリンにおいて、語る根拠としての「もの」は喪失し、悲劇においてあると思われてきた「運命」の喪失という様相を帯びる。このような「語ること」の根拠が先取りできず、語る者が常に「先取られて」在ることがヘルダーリンにおける「神的なもの」の姿であり、それは有限者の語りに関わるレトリックの問題であることが示される。
 このような全体の立論から、本論文は悲劇論の力学の歴史を辿りながら、「こと」を「もの」化する正当化の試みが、再び「こと」化へと向かう過程を示し、悲劇における有限者の語りの根拠の不在が「だからこそ」語るという構造となることを示そうとしている。
 このような本論文について、選考委員からは、悲劇について語ることが悲劇論について語ることとなる、という主張の独創性、歴史的な悲劇研究を現代の議論に結びつけようとする果敢さ、また行為遂行論を取り入れつつも、修辞学についての知識に裏打ちされた考察の深さ、さらに行為遂行的矛盾としての悲劇の語りについての議論がシェリングにおける同一性と差異や主体性の構造の分析にも裨益しうるものである点などが高く評価された。

以上のように、梶原将司氏の研究が、悲劇と悲劇論の歴史的研究を通じて、行為遂行的な自己正当化構造としてのメタファーというレトリックのもつ意義を明らかにし、悲劇論というすでに多くの研究が存在する領域に新たな光を投げかけるものあること、研究の綿密さ、着想の独創性、背景的な知識の豊富さという点でシェリングの生きた一八〇〇年頃を中心としたドイツの悲劇論研究に多くの寄与をもたらすものであること、これらの点により研究奨励賞選考委員全員一致で本論文の著者である梶原将司氏を二〇一八年度の研究奨励賞受賞として推薦することとした。
 研究奨励賞選考委員長による上記推薦理由の報告と研究奨励賞受賞者の提起を受け、2018年7月7日の第91回理事会において、梶原将司氏を2018年度日本シェリング協会研究奨励賞受賞者とすることが決定された。

             2019年7月4日
             日本シェリング協会研究奨励賞選考委員長 加國尚志